子どもに育ててもらってます。

心が豊かなんですって胸を張って生きたい。

常識は非常識

友人といて共感できないことが増える。これって良い悪いは別として、自分が変化している途中だと思う。



今回は違和感から学んだことのお話。


友人の話を聞いていて

○普通というワードの多さ。
○他人のお金の使い方についての不満話
○お金に対する強い執着
○こういうのってどう思う?という批判

自分の友人はこんな感じだったんだ…
と俯瞰して見ることができた。
視野が狭い。
ここから抜け出したい!と強く思った。


夜、別の友人からお誘いがあった。
会ったときの状況が見えたので、断ることにした。
不思議なもので、普段連絡が来ない人から連絡が来る。
試されてると確信した。
そして自分はどうだったか?同じようなことを考えたり、言っていなかったか?



私にも似たような部分があった…
だから今まで苦痛を感じることなく過ごせたんだと思う。
恥ずかしい。

私の母も友人達とそっくりなことに気がついて納得。
昔、私の考え方は世間では通用しないと言われ反省した事もあったが、今思うとそれは母が友人達と同じ考え方なだけで私がいつもわがままで非常識だった訳ではない。時にはそういうこともあったけど^^;

例えば飲み会で、上司とチークダンスを踊るのは当たり前、断るのはわがまま。という考え方。
片手を握りもう片方は腰に回され、身体を密着させ横に揺れる。チークダンスという名の変態行為。これは好意のある人同士又はお互いの趣味であれば楽しいかもしれないが、そうでなければセクハラ以外に何かあるだろうか?
私は、なんて言われても断っていた。
少数派は辛い。わがままだと言われ放題だ。それが今!やろうと思えばだけど、セクハラで訴えることだってできるんですよ。熱くなってしまった。
  


世間の常識だから我慢しなければいけないということは常識じゃない。常識によっていい思いができる人のエゴを空気を読んで守っている。ってだけ。
大切なのはその場にいる多くの人ができるだけ心地良く過ごせること。
お互いの時間を大切にすること。


私はわがままなんだ…って言い聞かせ、歳を重ねるごとに周りに合わせることを覚え、行きたくない方向に必死で歩いてきたんだなぁ。
人生残り半分あるとしたら、まだ半分!
気づけて良かった。
行きたくない方向が見えたら、次は向かう方向をゆっくり見つければいい。




どう生きるかは自分で決められる。
よく目にしたり聞く言葉だけど、本当の意味で理解するのが最大の難関だということに気がついた。
「わかってはいるんだけどさぁ…」
何度この言葉を使ってきただろう。
これからも使ってしまいそうな言葉。
これを言っているとき、聞いたことがある綺麗ゴトだからできない!としか私は思っていない。
いつかわかればそれでいい。が…
結構な大人年齢なのでなる早で気が付きたい(笑)